SPEEDと共に過ごした青春
アイドルに支えられた。
SPEEDに支えられた。
島袋寛子さんに支えられた。
私の10代はSPEEDと共にあった。
中学時代はバスケットボールに打ち込み、桜木花道やマイケルジョーダンに憧れた。
毎週発売されるジャンプで湘北高校の試合を楽しみに読んでいた。
部活で「庶民のシュート」「リバウンドォ!!」とやっていた。
どこにでもいる中学生だった。
しかし、高校に入って生活が一変する。
親元を離れ、下宿生活が始まる。
些細なことでバスケをやめてしまい、バイトも長続きせず…
夜の街を彷徨い、一通りの悪いことをする
「暇は悪だ」
私は心底コートが恋しかった
自分の居場所はコートしかなかったんだと、その時になって気づいた。
だが、道を引き返す勇気も根性もない。
私は途方に暮れた。
完全に自分を見失っていた。
私がSPEEDに出会ったのは、そんな時だった。
(中編に続く)
日本女子バスケットボール代表~トムホーバスとの絆、歴史的快挙の銀メダル~
敗れてなお、晴れやかな笑顔が印象的だった。
歴史的一戦。
バスケットボール女子決勝。
日本バスケ史上初の金メダルを賭けた戦いは、アメリカに75-90で敗戦。
しかし、過去最高成績だった1976年モントリオール五輪の5位を上回り、男女を通じて初の表彰台。
堂々の銀メダリストだ。
長い時間をかけて、トム・ホーバス監督(54)の緻密な戦術とスピード重視のスタイルを、選手全員が理解、実践してフィジカルの差を跳ね返した成果だった。
高さが絶対とされるバスケにおいて、平均身長が出場国最低の176センチの日本が銀メダルとは快挙と言っていい。
女子バスケ代表合宿は、心・技・体・頭の厳しい練習で有名だ。
高田は「正直試合の方が楽です。」と話す。
体力・技術的な部分はもちろん、ホーバス監督が掲げる考えるバスケに適応できるかが選考に大きくかかわってくる。
「頭を使って状況判断をしないとまず12人に選ばれない。」と高田は続ける。
考え抜かれたフォーメーションが100通りはあるといい、「頭がパンクする」、「頭が追い付かない。」と話した選手もいた。
あの頃の日本代表選手も同じようなことを言っていた。
「体よりも頭が疲れる。」、「練習後は何も考えられない。」
日本人の特性とされる、勤勉さと智を使うのは世界相手には、やはり必須なのか。
考えさせられるエピソードである。
話を戻そう。
ホーバスバスケの、もう1つの特徴はスピードを生かした「平面バスケ」の成熟度の高さである。
日本の大エース渡嘉敷来夢(193㎝)がケガで離脱して以降、全員が走り、高確率に3点シュートを決める平面攻撃にシフトチェンジしてきた。
同時に「守備はフルコートでプレスをかけ、よりアグレッシブに守る。」と町田が言うように、ボールを持った相手をダブルチームで囲み、ボールを奪い切る守備を世界相手にも貫いた。
昔ならば、田臥勇太の母校・能城工業に代表されるように、高校生等には比較的多く見られる守備戦法である。
だが、ダブルチームは突破されると一転してピンチに陥りやすいという側面を持つ。
全員が戦術を共有していないと穴ができる上、激しい運動量も必要なため、本来は代表チームのような即席チームには不向きな守り方なのである。
この守備戦術で最後まで戦い抜いた日本。
日本の守備は世界を驚かせたと言える。
渡嘉敷来夢の離脱が決まってからの代表発表が7月1日。
オリンピックの開催月の直前発表である。
これには理由があったようで、より速く、緻密に、守備で攻められるホーバスバスケが遂行できる選手をギリギリまで見極めたいというホーバスの意向だったようだ。
結果、世界を驚かせるバスケが完成した。
そして何より、指揮官が金メダルへの思いを口にし続けたことが大きい。
SGの林は「どんな時でも『自信をもってやれ』と言ってくれた」と語る。
ホーバスは、選手達へ「君たちならできる。」と声をかけ続けた。
謙遜しがちな日本人だが、選手もいつしか「金メダル」と臆することなく言うようになった。
時間をかけ、努力を重ね、信頼を築いた結果、日本人らしい「緻密さ」と日本人にはない「前向きさ」を兼ね備えたホーバスバスケは完成した。
1人のアメリカ人指揮官が、日本のバスケを大きく変えたのだ。
今、日本のバスケ史は新たなページをめくる。
文責:株式会社REAL LIFE/専属ライター しまふくろう
※仕事の依頼は、コメント、メッセージ欄にてご連絡ください☆
マイページ【クラウドワークス】 (crowdworks.jp)
東京五輪~サッカー日本代表:後編~
走った。
誰よりもゴールを目指して、走った。
「最後のけじめとして、麻也さん、宏樹くんにメダルを渡して帰りたい。」
3位決定戦を前に、強い決意を表明していたが、その想いは叶わなかった。
日本の20歳の至宝は、試合終了後のホイッスルとともに泣き崩れた。
声を上げ、タオルで顔を覆い、人目をはばからず泣いた。
3位決定戦、「日本対メキシコ」。
前半から厳しい戦いだった。
全体的に動きの重い日本代表は前半12分、コルドバのPKで先制を許す。
続く22分、FKからホアン・バスケスがあっさりとヘディングでゴールネットを揺らし、メキシコが2点リード。
その後もゴールを奪えない日本は、後半、さらに追加点を許してしまう。
交代出場した三苫が78分に1点を返したものの、時すでに遅し。
結局1-3の敗戦を喫した。
6戦連続の先発出場。
足が重い。それでもドリブルを仕掛け味方のお膳立てをした。
見せ場もチャンスもあったが、試合を決められなかった。
試合後は、「自分はそこまでのレベルになかったということ。」と完敗を受け入れた。
まだ、20歳。
我々は、あまりにも多くのものを彼に背負わせすぎたのではないだろうか?
試合後、そう感じずにはいられなかった。
これは、今大会取り沙汰されたメディアおよびSNS各種の問題である。
彼の涙を見て、本当に重圧が凄かったのだろうと思った。
一方で、それでも前を向こうとする、純粋に勝負に勝ちたかったというのも感じた。
後者の方であれば、彼はまだまだ大きくなる。
枯れるほど流した涙。
その先には、カタールW杯が待っているはず。
「A代表でポジションをさっさと掴んで試合に出て、W杯の始まる頃には代表で圧倒的な存在になっていないと遅い。この悔しさを感じてやっていくのもいい。」
日本の至宝は、ここからスタートする。
最後に、若き侍たちへ…。感動をありがとう!!
文責:株式会社REAL LIFE/専属ライター しまふくろう
※仕事の依頼は、コメント、メッセージ欄にてご連絡ください☆
マイページ【クラウドワークス】 (crowdworks.jp)
東京五輪~疾風、新たなニューヒロイン~後編~
TOKYO、夏の夜空。
国立競技場で、田中希実が歴史的な4分を駆けた。
1500メートルで日本女子初出場、日本記録更新で準決勝進出、そして再び日本記録更新での決勝進出。
歴史を作った21歳は、手を振りながらアナウンスと同時にトラックに入る。
一瞬の静寂の中、臆することなく飛び出し、先頭集団に入りこむ。
外国人選手に比べ、一際小柄な田中は、強気なレースで最後の最後まで世界と真っ向勝負を繰り広げた。
中盤で5番手あたり、好位置をキープした。「こんな走りしたことないから、すごいすごいと思っていた。」と大きな手応えを自身でも感じていた。
最後は、世界のトップを追い切れず差が開いてしまった。
「ラストがしんどすぎて…。最後は一瞬意識が飛んでいる部分があり、きつくて粘ることができてなかった。」と振り返った田中。
ラスト1周に世界トップとの差を感じたものの、堂々の8位入賞だ。
「最後まで追えるスタミナをつけたい。」と自身の課題をきっぱりと言い切った。
五輪ではお馴染みの後継となった、田中のトラックに向かっての挨拶。
「ありがとうございました!」
田中の熱い夏が終わった。
親子二人三脚で歩んだ、陸上人生。
幼少期は短い距離が苦手で100メートルは中学時代でも17~18秒かかった。
これは中学生女子の平均と比べても、遅い方である。
しかし、地道な努力を重ねることで、晴れ舞台で大きく羽ばたいた。
ここに田中の強さがあるのだろう。
才能と努力。
二元論では語れない。田中を見ているとそんなことを感じる。
女子中距離種目では、人見絹枝以来の93年ぶりとなる入賞。
田中が創った歴史の1ページは、あまりにも大きい。
TOKYO、夏の夜空。
ニューヒロインが未来を切り開いた。
文責:株式会社REAL LIFE/専属ライター しまふくろう
※仕事の依頼は、コメント、メッセージ欄にてご連絡ください☆
マイページ【クラウドワークス】 (crowdworks.jp)
東京五輪~疾風、新たなニューヒロイン~前編~
東京五輪で、新たなニューヒロインの誕生だ。
東京国立競技場で陸上の女子1500 M 準決勝があり、田中希実が3分59秒19の日本新記録で1組5着となり日本選手初の決勝に進んだ。
田中には五輪の魔物は存在しないのか?
「大きい舞台になると、自分でも気持ちが悪いぐらい気持ちが上がる。」
日本人離れした強心臓の持ち主。
走力やスタミナなどよりも、田中の一番の強さはこのメンタリティーなのかもしれない。
五輪で初めて出場した1500 M 。軽々と予選を飛び越え、準決勝も突破し決勝への切符を掴んだ。
「4分切れば決勝に残れそう。」と想定し、予選と同じように自分のペースで集団を引っ張った。
2周目もペース落とさなかったが、4、5番手に後退した。
そこからは、懸命に腕を振り、自動的に決勝に進める5着に食い込んだ。
しかも、自身の日本記録を3秒以上も塗りかえ、まさに記録づくめ。
五輪の雰囲気にうまく乗り、「人格が変わる。」と語る田中。
だが、持ち前の冷静さも失わない。
「レースを俯瞰することがいつもよりできている。」
予選で他の国が2周目にペースを落とす傾向があったのを分析し、「自分も苦しいけど2週目に他の選手を休ませない方が決勝に残れる可能性が高い。」と考え冷静に実行する。
結果、接触によるリスクの少ない先行逃げ切りのパターンに持ち込んだ。
5000M では予選落ちしたが、練習から追い込み、スピードの持久力も増した。
その予選落ち後もすぐに気持ちを切り替え、準決勝に挑んだのだ。
どこまでも、種目は違えど本田圭佑や大谷翔平に近いものを感じるのは私だけだろうか?
トラック競技で世界を席巻する、日本人選手。
陸上という舞台で1人でも多く、その活躍を見てみたい。
21歳の若き女子アスリート。
今大会のラストランは、ゾーンに入ったまま決勝に挑む。
文責:株式会社REAL LIFE/専属ライター しまふくろう
※仕事の依頼は、コメント、メッセージ欄にてご連絡ください☆
マイページ【クラウドワークス】 (crowdworks.jp)
10年前、ロンドンからの便り~ベスト4の壁を越えろ~
今でも思い出す。
10年前の若き日本代表の雄姿を。
吉田のゴールパフォーマンス、清武のフリーキック、大津のドリブル。
ロンドンでの躍進。あれから10年…。
再び、日本は世界への挑戦権を手に入れた。
国際大会に目を向けると、2014W杯、2016リオ五輪、2018ロシアW杯があげられる。
2014、2016は悔しい結果に終わっているのは周知の通りだ。
2018ロシアは決勝トーナメントまで進むも、ベルギー戦はロスタイムに悲劇が待っていた。
まるでドーハを彷彿させるような最後だった。
世界は高い。
サッカーの厳しさを改めて感じた大会だった。
そして、これらを経て、今の東京五輪がある。
新世代の彼らを見ていると、本当に頼もしくなる。
今までは、「世界に挑戦する」、「世界を驚かす」などのキャッチコピーが選手・メディアから聞こえてきたし、見てとれた。
しかし、東京世代の彼らは世界に勝てることを全く疑っていない。
それは慢心や驕りなどではなく、経験的、メンタル的な部分でだ。
もっといえば、アスリートの本能として思い込んでいるのだ。
身も蓋もない言い方をすれば、世界にビビっていないといえる。
チャレンジャーでもなんでもなく、お互いをリスペクトした上で、同じ土俵で相撲を取っているのだ。
世界を相手に気後れする。
そんな時代は終わったのだなと、今大会を通じてしみじみと感じている。
特に久保建英。
若き日本代表の旗手。
今後、彼は世界ではなく、世界のトップレベルが日常になっていくのだろう。
外見は永遠のサッカー小僧の雰囲気を漂わせているが、
20歳とは思えない賢明さも併せもっている。
誰も傷つけない彼のコメントは、まさにトップアスリートそのもの。
SNSの誹謗中傷が止まない今大会だから、余計に光っている。
彼とチームの躍進を切に願っている。
君たちなら、どこまでも跳べる。
頑張れ、日本代表!!
ONE FOR ALL
文責:株式会社REAL LIFE/専属ライター しまふくろう
※仕事の依頼は、コメント、メッセージ欄にてご連絡ください☆
マイページ【クラウドワークス】 (crowdworks.jp)
未来に放たれた希望~男子バスケットボール日本代表~
アルゼンチン選手が笑顔で握手を求めてくる。
苦しそうに握り返す選手たち。
渡邊はユニホームで顔を覆い、真っ白なタオルを被った。
同時に、日本代表のオリンピックが終わった。
7月26日のスペイン戦を皮切りに、日本バスケ界は1週間熱狂の渦だった。
そして、選手たちは夢の予選リーグ突破、悲願の1勝を目指してコートを駆け回った。
だが、無情にも世界の壁は高かった。
スピード、パワー、高さ。
シュート精度、判断の的確さ、メンタル的な余裕。
全てにおいて、日本を上回っていた。
それは20点差、30点差のスコアからも見て取ることができる。
では、世界との距離は縮まっていないのか?
離されていく一方なのか?
否、世界との距離は詰まりつつある。
八村は1試合で34点を叩き出した。
これは予選全体2位の個人得点ランキングである。
また、渡邊雄太もOF、DFの軸として3試合通じて高いパフォーマンスを披露した。
何より、彼の最後まで諦めない泥臭いプレーは胸を打つものがあった。
日本代表が1番大事にしなければならないものを、彼は体現してくれたと思う。
2人のNBAプレーヤー以外の選手たちのレベルアップとともに、若いプレーヤーが駆け上がってくれば、日本全体のレベルが上がっていくだろう。
今大会の日本代表の活躍により、若い選手たちは自然と世界を意識するようになる。
世界標準が当たり前の時代になっていくのではないだろうか。
サッカー五輪代表のように。
1998年、サッカー日本代表がW杯初出場時は3連敗だった。
初めて知る、世界。
世界に跳ね返された大会だった。
そこから多くの選手が「世界」を意識したことで、日本サッカーは大きな発展を遂げた。
同大会に出場している久保、堂安、富安などは「世界が当たり前」の世代になっている。
海外組の彼らにとっては世界が日常であり、コンプレックスなど皆無である。
今後、日本バスケも海外組が増え、世界標準が当たり前になっていくことに期待したい。
シェファー、富永、河村。日本にも逸材は揃っている。
東京五輪は終わった。ここから、未来にボールは放たれる。
4年後、パリ大会への笛はもう鳴っている。