日本女子バスケットボール代表~トムホーバスとの絆、歴史的快挙の銀メダル~

 

 

敗れてなお、晴れやかな笑顔が印象的だった。

 

歴史的一戦。

 

バスケットボール女子決勝。

 

日本バスケ史上初の金メダルを賭けた戦いは、アメリカに75-90で敗戦。

 

しかし、過去最高成績だった1976年モントリオール五輪の5位を上回り、男女を通じて初の表彰台。

 

堂々の銀メダリストだ。

 

長い時間をかけて、トム・ホーバス監督(54)の緻密な戦術とスピード重視のスタイルを、選手全員が理解、実践してフィジカルの差を跳ね返した成果だった。

 

高さが絶対とされるバスケにおいて、平均身長が出場国最低の176センチの日本が銀メダルとは快挙と言っていい。

 

 

女子バスケ代表合宿は、心・技・体・頭の厳しい練習で有名だ。

 

高田は「正直試合の方が楽です。」と話す。

 

体力・技術的な部分はもちろん、ホーバス監督が掲げる考えるバスケに適応できるかが選考に大きくかかわってくる。

 

「頭を使って状況判断をしないとまず12人に選ばれない。」と高田は続ける。

 

考え抜かれたフォーメーションが100通りはあるといい、「頭がパンクする」、「頭が追い付かない。」と話した選手もいた。

 

どこか元サッカー日本代表監督のオシム監督を彷彿とさせる。

 

あの頃の日本代表選手も同じようなことを言っていた。

 

「体よりも頭が疲れる。」、「練習後は何も考えられない。」

 

日本人の特性とされる、勤勉さと智を使うのは世界相手には、やはり必須なのか。

 

考えさせられるエピソードである。

 

 

話を戻そう。

 

 

ホーバスバスケの、もう1つの特徴はスピードを生かした「平面バスケ」の成熟度の高さである。

 

日本の大エース渡嘉敷来夢(193㎝)がケガで離脱して以降、全員が走り、高確率に3点シュートを決める平面攻撃にシフトチェンジしてきた。

 

同時に「守備はフルコートでプレスをかけ、よりアグレッシブに守る。」と町田が言うように、ボールを持った相手をダブルチームで囲み、ボールを奪い切る守備を世界相手にも貫いた。

 

昔ならば、田臥勇太の母校・能城工業に代表されるように、高校生等には比較的多く見られる守備戦法である。

 

だが、ダブルチームは突破されると一転してピンチに陥りやすいという側面を持つ。

 

全員が戦術を共有していないと穴ができる上、激しい運動量も必要なため、本来は代表チームのような即席チームには不向きな守り方なのである。

 

この守備戦術で最後まで戦い抜いた日本。

 

日本の守備は世界を驚かせたと言える。

 

渡嘉敷来夢の離脱が決まってからの代表発表が7月1日。

 

オリンピックの開催月の直前発表である。

 

これには理由があったようで、より速く、緻密に、守備で攻められるホーバスバスケが遂行できる選手をギリギリまで見極めたいというホーバスの意向だったようだ。

 

結果、世界を驚かせるバスケが完成した。

 

そして何より、指揮官が金メダルへの思いを口にし続けたことが大きい。

 

SGの林は「どんな時でも『自信をもってやれ』と言ってくれた」と語る。

 

ホーバスは、選手達へ「君たちならできる。」と声をかけ続けた。

 

謙遜しがちな日本人だが、選手もいつしか「金メダル」と臆することなく言うようになった。

 

時間をかけ、努力を重ね、信頼を築いた結果、日本人らしい「緻密さ」と日本人にはない「前向きさ」を兼ね備えたホーバスバスケは完成した。

 

1人のアメリカ人指揮官が、日本のバスケを大きく変えたのだ。

 

今、日本のバスケ史は新たなページをめくる。

 

  f:id:mizuknahanaha:20210809131741p:plain

       文責:株式会社REAL LIFE/専属ライター しまふくろう

                 ※仕事の依頼は、コメント、メッセージ欄にてご連絡ください☆

                 マイページ【クラウドワークス】 (crowdworks.jp)